「十字架に向かう主イエス」 08.03.16
マルコ11:1〜11
主イエスは、十字架にかかって死ぬためにエルサレムの都に
やって来られました。ご自分が、引き渡され、死刑を宣告され、
侮辱され、唾をかけられ、鞭打たれ、そして殺されることを
ご存知でした。それがご自分の成すべきことであると知っていました。
主イエスの命を懸けた真剣な姿を見た弟子たちは、主イエスの
ただならぬ決意を感じたことでしょう。
主イエスは、エルサレムの都に入られる時に、子ロバを用意する
ように命じられました。これは、旧約の預言者ゼカリヤが告げて
いたことでした。「高ぶることなく、ロバの子に乗った王さまがお出でに
なる」(ゼカリヤ9:9)。「高ぶることない」というのは、ただの「謙遜」に
とどまらず、「貧しく惨め」という意味です。まさに惨めな十字架の
死に向かう王としてエルサレムにやってこられたことを、子ロバに
乗ることで、はっきりと示されました。神の御子が十字架で死ぬことが、
預言者に語らせた神さまのご計画でした。
順当に考えるならば、主イエスが十字架の死に向かうのではなく、
神の御子なる主イエスに逆らう罪人たちこそが、処刑されるべきで
ありましょう。子ロバに乗るのではなく、嵐を治め病人を癒す大きな
力を見せ付けながら、天の軍勢を引き連れて登場する方がふさわしい
ことでしょう。しかし、神さまの計画はそうではありませんでした。
神さまは、人のこれまでの態度に対する順当な対応をお考えに
なるよりも、人を救いに導きいれるための対応をお考えになります。
人を天の国に進ませるための計画をお立てになります。ですから、
それを妨げるもの(罪)を取り除こうとなさいます。
そのために、神の御子にすべての人の罪をぜんぶ抱えさせて、人の
代わりに惨めな死を遂げる十字架に進ませることを計画されました。
神さまが人の救いを願い求め、何よりも優先してくださったから
こそ、主イエスは十字架で死なれました。
私たち罪人を救おうとしてくださる神さまの熱意に心が震えます。